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四尾地金相关文章  兰寿肉瘤考 [复制链接]

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只看楼主 倒序阅读 使用道具 0楼 发表于: 2021-10-15
四尾地金相关文章 王充志译

-序-  翻译(王充志)

“话说四尾地金”‥‥‥昭和52年(1977年),由观赏鱼杂志主办,和肩负四尾地金保存会下一代的诸位先生聚集在一起举办座谈会。这是那时的标题。这些内容也分成三次刊登在同年的6、7、8月份的观赏鱼杂志上。那时的出席者有东京都水产实验所的长泽兵次郎、近藤欽、稻垣臺、犬冢清、若林贞明、夏目辉久、早川定雄、中川义雄、角谷进、佐々木庚年诸位先生还有山本敏先生。有几名已经成了故人了。近藤先生、犬冢先生、若林先生、山本先生,现在也比起饲养金鱼,也更致力于热心的指导新人。回顾当时,并对此后的变迁和最近的地金还有对地金的期望,在大桥隆先生的参与之下,以同一标题和各位畅谈一番。



-和地金的缘-

(大桥)我在儿童时代大约昭和25年,饲养过金鱼,但是在那之后有一段空档,约10年前又被这金鱼的魅力给迷住了,并把近邻的初学者招来,开始正式的饲养,各位是因什么样的起因开始养金鱼的呢?

(近藤)战后的昭和22、3年时,丰田市(枡冢町)的杉田清次郎先生养有地金,并且让我看了好几次渐渐变得想养地金,把鱼分让给我,这是我又开始养鱼的起因。红白花色的美丽色彩和摇曳生姿的尾鰭是多么幽雅典致,我让地金的魅力给迷住了。

(若林)我由于父亲开金鱼店的关系,大约从昭和16年起,看着地金长大的。那时在名古屋有增田冬辅、熊泽武三郎、佐藤丰次、大村秋次郎、长谷川博康、在三河有杉田清次郎、岩濑新吉、宫本孝一、内田正一诸位,开始养地金是在昭和20年代初期,战后刚不久的时候。

(犬冢)我本来就喜欢金鱼,并且养着各个种类的金鱼,但是我想养地金是昭和30年左右的事。印象中是尾鰭翩翩然摆动,以剥下鳞片来调色的一种与众不同的金鱼。

(山本)第一次看到地金是上中学生的时候,所以大概是昭和29年左右。在住在西尾的外山新吉家看到的,之后常常去外山新吉家,饲养则是从中学毕业以后开始的。在选鱼苗的时候,经常去,并且也拿了经过选过后的好鱼苗回家养。那时住在蒲郡的竹内以及藤田精七、三谷水族馆第一代馆长的佐助、西尾的神谷均、御津的岩濑都养着优良的地金。

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大桥隆(左)和山本敏



-地金的体型与泳姿-

(大桥)大家都从那时就开始饲养所以饲养经历大约有50年,那时的地金和现在的地金比较一下有什么不同呢?

(山本)地金本来就是从六鳞(跟地金一样只是体型稍为细长)衍生出来的,并且鱼的观赏法基本是相同的。现在地金缩成短短的体型。因此开始可以看到拥有几乎不会游那种有欠柔软性尾鰭的鱼。

(若林)地金出现好几种形态,有的腹部靠前,有的腹部偏后。腹部偏后的鱼尾鰭摆动起来好看,在三河这个地方作为观赏一直受到珍重。到昭和30年代为止都被认为不管哪一种形态都各有其优点。名古屋/尾张地区把腹部靠前的称为六鳞。相对的昭和50年左右,渐渐的把腹部短缩的鱼称为地金。本来六鳞(背鰭、胸鰭、腹鰭、臀鰭、尾鰭、唇6个地方为红色,其他为白色, (中国叫做12红:背鰭1、胸鰭2、腹鰭2、臀鰭2、尾鰭4、唇1)是一种金鱼红白花样的称呼,和金、出云南京也使用这种称呼,并且地金(地方金鱼)本来的意思是某一个土地固有的金鱼。尾鰭在西尾这里其中间的缺口浅,像是两片尾鰭的比较多,蒲郡/御津尾鰭缺口深像四叶尾,各个地区有各个地区的特征。

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若林贞明先生,平成6到9年四尾地金保存会会长,平成3到8年担任丰桥爱锦会会长。

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据在昭和19年全国六鱗美术联合会(佐藤恩保編)整理编辑的小册子“六鳞和藻”,尾张/名古屋地区(六鳞),三河地区(地金)并无像现在这样区别,能窥见到有各式各样的类型。

在昭和19年12月所发行的“六鳞和藻”,虽然是16开80页蜡纸印刷,但是详细入微的记载着当时的研究会,评赛会等的活动记录,饲养状况,以增田冬辅为中心的活动情形、饲养技术、艺术论等等。能窥见出战争时的辛劳。

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近藤欽,平成2到5年四尾地金保存会会长,昭和44到47年担任冈崎爱锦会会长。

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犬冢清,从昭和62年到平成5年担任冈崎爱锦会会长。



(大桥)下一张照片是刊登在昭和52年的观赏鱼杂志上的第13回“四尾地金保存会”的地金。

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看了参赛鱼则可知比现在的地金狭长多了。和在“四尾地金的审查标准”里的体长和体高比为100:60-65很是不一样。不知是从什么时候变成这种体型。

(近藤)过去举办的评赛会没有地金和六鳞的区别,但是在昭和33年“四尾地金创刊号”发行同时,以已故稻垣臺会长为中心,加上我以及内田正一(故人),若林的父亲,制定了地金审查标准草案。这是从本来是六鳞的审查标准来的。再加上能表现出三河地区特征的体型限制,明示出体长和体高的比,可说是表露出体型限制此事。

(山本)下一张照片是刊登于昭和47年所发行的金魚大鑑里的地金。这是西尾地方的杉浦茂所养的,经手于名古屋的河合,再转到小冢手上的地金,这时这是很平常的。那时,从我饲养的地金中出现很多短身的鱼,受到已故司家稻垣臺倾爱所以转让给他。令人感到粗胖有力感的鱼非常俱有魅力,可以说从这时开始限定了短胖的体型。

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出自松井佳一编著(昭和47年发行)“金鱼大鉴”



(山本)体型不太长也不太短,适当的缩短,令人感到粗胖有力感的鱼好。尾柄粗,从上面看鱼的时候,从身体的前方直到尾柄好象孟宗竹的叶子一样渐渐变细的感觉。腹部鼓出来的就不好。因为地金能吃所以常有不由得餵食过度的事,并且这也是鱼鳃卷起来的原因。

我开始养鱼的昭和40年左右,腹部突出(雁腹)则看起来很丑因而严遭指点。理所当然的在评赛会上,会被扣很多分的。

(大桥)3年前,在冈崎公园的评赛会有幸拜见了四尾地金保存会设立时担任副会长的高桥藤平(当时90岁,前年过世了),在参赛鱼前,能请教到各种问题。那时我问了一下在这里面最中意是哪条鱼,高桥指出排名倒数最后第3条鱼。那是条体型稍长的,但是尾鰭柔软,并且游得很轻快,令人感到舒畅无比优雅的地金。没被评估为优秀鱼。

(山本)几年之前,有幸得到了宝饭郡御津町有一位叫做岩濑的人,他们家家代代饲养着没有混入其他血统的地金。这是下一张照片里的地金。

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山本从御津町岩濑那里到手的纯血统之地金,3岁鱼大约有30条正游着。

体型很长,但是尾鰭柔软,并且很会游,当它停下来的时候尾鰭就张开。还有体色好,接近于石榴的红色。最近因为血统上过于接近的关系,好像体质变得软弱,兼带改善体质,想使用这些地金来改良。

(山本)侧看地金,上部是比较平的圆弧形,下部是比较弯的圆弧形,背鰭要长一点,接近尾部的为良。长身子的不好。头部口吻要感到尖尖长长的像“白丁鱼”的好。有肉瘤,或口吻圆的像鲻鱼头令人感到土里土气。餵得太多,以及在浓青或是在狭窄地方长时间饲养的时候容易成为这样的鱼。最近经常可以看到很多体长过于短缩以至于口吻过短而感到土气的鱼。

(若林)一般而言,出云南京、土佐金、琉金、大阪的蛋鱼(绝种)这样的日本产金鱼的头部都以小为标准。地金也同样的头部小,也曾有过被认为两眼距离,背宽,尾柄宽度相等的是理想的时代。顺便讲一下兰寿、荷兰狮子头、五花荷兰狮子头这种带有兰字的金鱼全部都以头部宽大为标准。



-尾形与泳姿-

(大桥)请教一下地金的尾形和泳姿的关系。

(山本)地金最有值得看的就是尾鰭。与身体垂直展开,从后部看过去时呈现出精美的X形状,且其中心下面看得见成为盘状的尾鳞(尾鰭之间长有鳞片的地方)。尾鰭先端稍带圆形并上下相同成对的为好。

依照左右尾鰭上端分裂处的形状,分为竹叶形、日本象棋形、深裂形,以竹叶形,日本象棋形的尾鰭成长后的尾鰭的摆动才好,才能长成地金本来应有的尾鰭。

(若林)在鱼还小的时候越是裂得深且两片的重叠的尾形的鱼,随着成长后越变得发挥出这个特征。随着成长为成鱼时左右的上叶尾的裂缝变得宽阔,并且尾鰭渐渐的往上顶起来,尾鰭变得垂立起来。2岁、3岁时变得更强而有力往上顶起的尾鰭,在3岁时大体上完成。能否保持这样的尾鰭那是依其后的饲养方法而定的。

(犬冢)至于地金的尾鰭,因为随着成长而变化,所以期待着尾鰭在当年鱼就成长完成是困难的。最近把当年鱼套在完成的亲鱼的尾形和体型上,好像是亲鱼变小的当年鱼。专选这样的当年鱼。甚至评赛会也有选择这种鱼当年鱼的倾向,真令人担忧。既然是鱼就必须会游。接近玩耍那样爽快的泳姿才是理想的。

(山本)尾鰭不应硬梆梆的展开,而是必要俱有适当的柔软性弹性。在摆动这尾鰭游动时左右的下叶尾鰭的末端要能互相接触(日语叫破风吻合)那样俱有柔软性,然后尾鰭停止摆动时鱼体往后一退,一边摇一两下尾鰭骤然张开,这时的动作会酝酿出一种难以形容的优雅美丽。这也是观赏的妙处。地金游动时的姿态应该比静止时的姿态更值得来评价。

(近藤)我也有同样的看法。我刚开始养地金的时候,在游动的时候必须下叶尾鰭要能互相接触那样柔软的尾鰭,在静止的时候尾鰭骤然敞开,这是地金最值得观看之处,观赏的奥妙之处。

(若林)在大正时代鉴赏会好像就有比赛尾鰭的摇摆,在1分钟以内,尾鰭张开闭拢几次来决定好坏胜负。

另外,尾鰭必须要有中间凹陷。中间凹陷只要上叶尾鰭张开则自然形成。下叶尾鰭张开的鱼,其尾鰭有中间凹陷则上叶尾鰭不容易张开好像闭着一样。尾芯不够直立的就成为趴尾,叫做“蝇拍”是不好的例子。

这个和尾鰭对着体轴连接和尾盘有关系。



-着色问题-

(大桥)有其他值得注意的地方吗?

(山本)着色也就是人工调色。口吻、背鳍、胸鳍、腹鳍、臀鳍、尾鳍,六个地方带有红色这是理所当然的,但是对于红色的分布样子感到有点疑问。这是因为过多的红色大多会损及外观,令人感到粗杂不雅的鱼较多。特别是口吻上的红色延伸到鼻前的鱼。唇内的红斑在张开嘴吻时才能看到的叫做潜在红,有潜在红的鱼让人感到优致。口红从上面看只要有的话就好。

颊红就是鳃盖上有红斑的,现在已成为标准,但须调配得美丽。下唇红斑和颊红连接的鱼并不怎么雅观。看了昭和初期的相片,可知有鳃上着红斑的好鱼。这是一种需要技术的操作。

(近藤)地金的红斑需要不断的修正,并且必须漂亮利落地完成。最近可以看到多数口周围红斑剩留过多的鱼。過去用安全剃刀不断地修改,漂亮的,利落的来完成它那样竞争着。也有让腹部留下红斑的人,但是我想还是弄干净利落的好。颜色也和从前一样像石榴那样的浓红色的好。映照在白色洗脸盆上,非常美丽出色的。

(若林)现在各鳍的颜色如果遗漏不全的话,就失掉参赛资格,但是本来并没有那么严格的,只要鳍的最前面的大棘骨是红色的话就可以成为审查对象了。

身体的颜色更白,红的部分更红,当年鱼的话也要健壮神采飞扬。另外,需要留意亲鱼各红色部位“发白”的问题。

(犬冢)地金和其他的金鱼不一样,因为地金须加以人工手术来完成的唯一的金鱼所以包含有一部分的技术竞赛。我一年调色的鱼超过3000条,但是漂亮利落地完成的若有15-20%的话就算是好的。必须经常顾虑到气候、鱼的状态、调色时机、调色后的管理,一直想提高成品率,但是非常的难。



-对地金的寄望,今后的课题-

(大桥)听到这么多俱有参考价值的话。最后我想问一下大家今后的课题,和对地金的寄望。

(近藤)为了使地金能普及到全国就必须加以改良成为更强壮的金鱼。摆在金鱼店里,在一般人购买之前就死了,是一种难以成为做买卖的鱼。店头的活存率是个问题。

(若林)一般被认为地金是一种难养而脆弱的金鱼,但是如果饲养正确的话,长寿,出乎意料之外是一种健壮的金鱼。不混养其他的金鱼,餵天然饲料时注意不要带入病原菌等,餵食要节制稍微少一点,只要遵守养金鱼的基本注意事项的话,就可以。

(山本)作为爱知县的天然纪念物的地金是不被个人的看法想法所左右的。地金是因大多数的上一辈人的努力才能延续至今。这种地域性金鱼为了能让它留传于后世,我想必须知道地金本来的优点,即使多一个人也好那样让更多人养它那样的努力来做普及推广活动。

(大桥)我也是一样想法。多多少少也要扩展养地金的基层,所以把近邻们召集起来,免费分发鱼苗,举办研究会或评赛会。在平成9年,由山本带头,靠大家的支援三州吉良金鱼爱好会才能够成立,最近入会的会员已经超过60名了。大半的人都是第一次开始养地金的人,他们都非常热心,我想这都是因为地金魅力之所在。

难得能听到这么贵重的谈话。今后还希望大家越来越健康,烦请各位养育出优良地金并指导新人。在此谢谢各位。

(丹羽隆治记)



泳ぎ(21秒動画、672KB)



地金具有和金的体形,但是不是游动敏捷的鱼。两、三步前进,静止,后退半步那样的游动。从前进到静止、后退时,然后再到下一个动作时能看到小小的惷動,游动的姿态实在很雅致,是鉴赏的最高境界。纯白的身躯,配上口红,还有深红色的鳍,敞开尾鳍时像蝴蝶那样舞动的泳姿,因此被说为具有技艺的金鱼,这是地金最大的魅力所在。这个泳姿是来自拥有体高,胖胖的有力感的体型和地金独特的四叶尾鳍,这也是保存会会员非六鳞而固执于地金的理由。
はじめに

「四尾のジキンを語る」‥‥‥昭和52年(1977年)、フィッシュマガジン誌の主催で、四尾の地金保存会の次の世代を担う方々が集まり、座談会が行われました。これはその時のタイトルです。この内容は同年のフィッシュマガジン誌6,7,8月に3回のシリーズで掲載されました。その時の出席者は東京都水産試験場の長沢兵次郎、近藤欽、稲垣臺、犬塚清、若林貞明、夏目輝久、早川定雄、中川義雄、角谷進、佐々木庚年の各氏、そして山本敏さんです。すでに何名かの方は故人になられましたが、近藤さん、犬塚さん、若林さん、山本さんは、現在も飼育はもとより後進の指導にも熱心に取組んでおられます。当時を振り返り、またその後の変遷と最近の地金や地金への思いについて、大橋隆さんを交え、同じタイトルで皆さんに語っていただきました。



―地金との出会いについてー

(大橋)私は子供の頃、昭和25年頃には飼っていたのですが、その後ブランクがあり、10年ほど前またこの金魚の魅力にとりつかれ、近所の初心者に近い方を集め本格的に飼いだしたのですが、皆さんはどんなきっかけからですか。

(近藤)戦後の昭和22,3年頃、豊田市枡塚町の杉田清次郎さんが地金を飼っており、何度が見せてもらっているうちに飼いたくなり、分けてもらったのが始まりです。紅白の綺麗な色彩と、小刻みに振る尾の動きがなんとも優雅であり、地金の魅力に取りつかれてしまいました。

(若林)私は、父が金魚店をしていた関係で、昭和16年頃から地金をみて育ってきました。その頃名古屋では増田冬輔、熊沢武三郎、佐藤豊次、大村秋次郎、長谷川博康さんたちがいました。三河では杉田清次郎、岩瀬新吉、宮本孝一、内田正一さん達で、飼いはじめたのは昭和20年代初期、戦後間もない頃です。

(犬塚)私はもともと金魚が好きいろいろな種類を飼っていましたが、地金は昭和30年頃だと思います。尾がヒラヒラしていて、鱗を剥いで色付けをする変った金魚だ、という印象でした。

(山本)初めて地金を見たのは中学生の時ですから、昭和29年頃です。西尾の外山新吉さん宅で見せて頂いたのですが、その後外山さん宅へよく通うになり、飼うようになったのは中学を卒業してからです。稚魚を選別するころにはよく出掛け、選別済みの良魚も頂きました。そのころ蒲郡には竹内さんや藤田精七さん、三谷水族館初代館長のさすけさん、西尾に神谷均さん、御津に岩瀬さんたちがいて、良い地金を飼っていました。

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大橋隆さん(左)と山本敏さん


―地金の体形と泳ぎー

(大橋)皆さんはその頃から飼っているので飼育歴は50年前後になるわけですね、その頃の地金と今の地金を比較するとどうですか。

(山本)地金は元々六鱗と同じ魚から派生しているわけで、魚の見方は基本的には同じです。今では地金は寸詰まりの短い体形になってきています。このため、泳げないくらいしなやかさのない尾の魚をみかけます。

(若林)地金には色々なタイプがでることがあって、腹が前のほうに付く前腹タイプと後ろにつく後腹タイプです。後腹タイプは尾使いが良く、三河では観賞用として珍重されてきました。昭和30年代まではどちらのタイプもそれぞれの特徴とされていましたが、名古屋・尾張地区で前腹タイプを六鱗と称したのに対して、昭和50年頃からこれに対抗する様に、後腹の寸の詰まった魚が、地金と称されるようになりました。もともと六鱗とは更紗のように柄や色調を表現する呼称で、和金やナンキンにも使われており、地金はその土地固有の金魚をいったものです。尾も西尾では中締めのない2枚仕立てが多いに比べ、蒲郡、御津は締めが大きく、それは各々の地区の特徴とされてきました。

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若林貞明氏、平成6~9年まで四尾の地金保存会会長、平成3~8年まで豊橋愛錦会の会長を務める。



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昭和19年に全國六鱗美術聨合會(佐藤恩保編)によってまとめられた小冊子「六鱗和藻」によると、今のように尾張・名古屋地区(六鱗)、三河地区(地金)などの区別は無く、いろいろなタイプのいたのが伺えます。

昭和19年12月に発行された「六鱗和藻」、A5版80ページのガリ版刷りだが、当時の研究会、品評会等の活動記録や飼育状況、増田冬輔氏を中心とした活動の様子、飼育技術、芸術論などが細やかに記載されている。戦時中の大変な苦労が伺える。



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近藤欽氏、平成2~5年まで四尾の地金保存会会長、昭和44~47年まで岡崎愛錦会の会長を務める。



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犬塚清氏、昭和62年から平成5年まで岡崎愛錦会の会長を務める。



(大橋)次の写真は昭和52年のフィシュマガジン誌に掲載された第13回「四尾の地金保存会」の地金です。

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出品魚をみると、今の地金よりかなり長手ですね。「四尾の地金の審査基準」にある体長と体高の比が100:60~65とは随分違いますね。いつ頃からこの体形は変化してきたのでしょうか。

(近藤)品評会は地金と六鱗の区別はなく行われていたのですが、昭和33年の「四尾の地金創刊号」に合わせて会長の故稲垣臺氏が中心になり、私や内田正一(故人)さん、若林さんのお父さんらが加わり、地金の審査基準草案したのです。もともとは六鱗の審査基準からきています。三河地区の特徴を出そうと体形に制限を加えたもので、体長と体高の比が明示されたのはその表れといえます。



(山本)次の写真は昭和47年発行の金魚大鑑にでている地金です。これは西尾の杉浦茂さんが飼育していたのを、名古屋の河合さんを経て小塚さんに渡った地金ですが、この頃はこれが普通でした。その頃私が飼育していた地金から太くて寸の詰まった魚が沢山でたことがあり、故司家の稲垣臺さんが大変気に入っていたのでお譲りしました。太く力強さを感じさせる魚は魅力的であるので、この頃から短い体形にこだわるようになったと思えます。



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松井佳一編著(昭和47年発行)「金魚大鑑」より





(山本)体形は長すぎず短すぎず、割合に寸が詰まっていて、太く力強さ感じさせる魚がよく、尾筒は太くて魚を上部からみると体の前方よりスーと尾筒まで孟宗竹の葉のように細まってきた感じです。腹部の出たのはよくありません。地金はよく食べるのでつい餌をやりすぎることが多く、鰓まくれの原因にもなります。

私が始めた昭和40年ころは、腹がかり(がん腹)があると見苦しいときつく言われたものです。もちろん品評会では大きな減点です。

(大橋)三年前、岡崎公園での品評会で、四尾の地金保存会設立当時の副会長を務められた高橋籐平さん(当時90歳、一昨年故人になられた)にお会いする機会があり、出品魚を前にいろいろお話を伺うことができました。そのとき私が、この中で一番気に入っている地金はどれですか、とお聞きしたところ、高橋さんは下位から三番目の地金を示したのです。それはやや長手の体形ですが尾がしなやかで、泳ぎの軽い、すっきりとした品のある地金でした。上位の魚あまり評価されなかったのです。

(山本)数年前、宝飯郡御津町に岩瀬さんという方がいまして、そこの家で代々飼育されてきた他の系統が入っていない地金を入手できました。これが次の写真の地金です。

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御津町の岩瀬さんより山本さんが入手した系統の地金、三歳魚が30尾ほど泳いでいた。

体形は随分長めですが尾がしなやかで上手に泳ぎ、止まると尾がパットと開きます。それに色合いが良くザクロ色に近い紅です。最近の地金は系統的に近いためか体質が弱くなっているようで、体質の改善を兼ねこの地金を使って改良していきたいと思っています。

(山本)地金の横見は、上部はやや浅い櫛形で下部は櫛形、背鰭は長く尾に近いのが良く、間のびしているのは良くありません。頭部は目先があり尖った感じのする「キス顔」がよく、肉瘤があったりして目先のまるいボラ顔は品がありません。過食させたりして、狭い場所や濃い青水で長く飼っているとこのような魚になりやすいのです。最近では体長を詰める余り目先が詰まりすぎて品位を欠く魚を多く見かけます。

(若林)一般に、ナンキン、土佐金、琉金、大阪のマルコ(絶滅種)のような日本的な金魚は頭部が小さいのが基本です。地金も同様に頭部は小さく、目巾、背巾、筒巾が等しいのが理想とされた頃もありました。ちなみに、らんちゅう、オランダ、東錦(三色オランダ)のように、蘭とつく金魚はみんな頭部が大きいのが基本です。

―尾形と泳ぎー

(大橋)地金の尾形と泳ぎの関係について教えてください。

(山本)地金の一番の見所は尾です。体軸に垂直に付いていて、後方から見ると見事なX字状を示し、その真中下に尾皿がみえます。尾はやや先端に丸みのある形で、上下が等しく揃っているのを好いとしたものです。

左右の上尾の割れ目の形によって笹割れ、将棋駒頭割れ、深く割れ込んだ抉れがありますが、笹割れや駒頭割れの尾は、成長すると尾使いの良い、地金本来の尾になります。

(若林)魚がまだ小さい時は、切り込みの深く二枚畳みの尾形のものほど成長するにつれて、この特徴を発揮するようになります。成魚になるにつれ左右の上尾の割れ目も広くなり、尾芯を段々に持ち上げ、尾が垂直に立つ様になります。二歳、三歳になるとより力強く尾を持ち上げるようになり、三歳でほぼ完成されます。この尾を維持出来るかどうかは、後の飼い方次第でしょう。

(犬塚)地金の尾は成長に伴って変化してくるため、当歳魚でこの尾の完成を期待するのは困難です。最近では完成された親魚の尾形や体形に当歳魚を当てはめ、親魚をそのまま小形にしたような当歳を選ぶ嫌いがあります。品評会でも当歳魚限りの魚が選ばれる傾向にあり、危惧しています。なにより魚である以上泳がなければなりません。この泳ぎも遊びに近い泳ぎが理想です。

(山本)尾は硬く開いたままではなく、適当に柔らかく、しなやかさが必要ということですね。この尾を振り動かして泳ぐ時、左右の下尾の先端が合う(ハフが合う)くらいの柔らかさで、そして尾を止めた時、後に下り1、2度揺すりながら尾をパッと開く、このときの動作が何ともいえない優雅さを醸し出します。地金の最大の見所であり、観賞の醍醐味ですね。地金は静止した姿より遊泳時の姿をより以上に評価すべきでしょう。

(近藤)全く同感です。私が地金を始めた頃は、泳ぐ時には下尾が触れ合うくらいのしなやかな尾でないといけない、静止したときにパッと尾が開くのが地金の最大の見所で、観賞の醍醐味だ、と教えられたものです。

(若林)大正年間の頃の鑑賞会ではこの尾使いを競い合うことがあって、1分間に尾が何回開帳したかで優劣を決めたこともあるそうです。

また、尾には中締めが必要です。中締めは上尾が開いてくると天然に出来てくるものですが、下尾の張っている尾に中締めがあると上尾は広がりにくく、締めるような形になります。尾芯の立ちが少なく伏せた尾になり、「ハエたたき」と呼ばれる悪い例です。これは尾の体軸に対する付けと、尾皿に関係しています。

―色付けについて―

(大橋)その他、気になるところはありますか。

(山本)色付け、すなわち人工調色ですね。口元、背、腹、胸、梶の各鰭と尾の六カ所に紅が付くことは勿論ですが、紅の付き方で気になる事があります。それは過剰な紅が付いていて品位に欠ける魚が多いことです。特に口元の紅は鼻腔の先までとし、内唇が着色していて口先をのばしたときに紅をみせるような、含み紅のついた魚は気品を感じさせます。口紅は上部からみて付いていれば良いのです。

頬紅は鰓蓋に紅を付けることで、今日ではこれが基準になっていますが、上品に仕上げたいものです。下唇と頬紅がつながった奴は、あまり品よくありません。昭和の初め頃の写真をみると薄鰓に紅を付けた品の良い魚がいます。技術のいる工だったと思います。

(近藤)地金の紅はこまめに修正し、綺麗に仕上げなければいけません。最近では口周に過剰に紅が残る魚を多くみかけます。昔は安全カミソリで絶えず修正し、綺麗に、すっきり仕上げるよう競い合ったものです。下腹部に紅を残す人もいますが、これもすっきりしたいものです。色も昔はザクロのような濃色の紅を良としました。白い洗面器によく映え、大変美しいものです。

(若林)今では色は各鰭に色抜けがあれば失格になりますが、元来はそれほど厳密ではなく、鰭の1番骨に紅があれば審査対象にはなったのです。

体の色はより白く、紅の部分はより赤く、当歳に於いてもしかり、です。また、親魚に於いては各部の“白ヌケ”に留意する事が必要です。

(犬塚)地金は他の金魚と異なり、手を加えて仕上げていく唯一の金魚ですから、ここが技術を競い合うところでもあります。私は年間三千尾以上調色してきましたが、綺麗に仕上るのが15~20%あれば良いほうです。天候、魚の調子、調色時期、調色後の管理など常に考慮し歩留まりを上げようと心掛けていますが、大変難しいです。

―地金への思い、今後の課題―

(大橋)大変参考になる、お話をいろいろ聞かせていただきました。終わりに、今後の課題、地金への思いについてお聞かせください。

(近藤)地金が全国的に普及していくには丈夫な地金に改良していく必要があります。金魚店の店頭に並んでいて、一般の人が買っていくまでに死なせてしまい、商品になりにくいといわれます。店頭での歩留まりの悪さが問題です。

(若林)一般に地金は飼うのが難しい、弱い金魚だといわれていますが、正しく飼えば長生きのする、案外丈夫な金魚です。他の金魚と混ぜないとが、生餌を与えるには場合病原菌の混入に気をつける、餌は常に控えめなど、金魚を飼うための基本的な注意事項を守ればよいのですが。

(山本)愛知県の天然記念物である地金は、個人の思惑によって左右されるものではありません。多くの先輩たちの大変な努力によって今日まで引き継がれてきました。この郷土の金魚を後世に残していくために、地金本来の素晴らしさを知っていただき、一人でも多くの人に飼育してもらうよう、今後は普及活動に勤めたいと思っています。

(大橋)私も全く同感です。地金を飼う人々の底辺を少しでも広げようと近所の人を集め稚魚を無料配布したりして、研究会や品評会を行ってきました。平成9年には山本さんを始め皆さんの後押で三州吉良金魚愛好会を発足させることができ、最近では会員も60名以上集まりました。大半の人が地金を初めて飼い始めた方達で、大変な熱気を感じます。これも地金の魅力によるものだと思っています。

―大変貴重なお話を聞かせていただきました。今後ともますますお元気で、良魚の作出と後進の指導をよろしくお願い致します。ありがとうございました。

(丹羽隆治記)



泳ぎ(21秒動画、672KB)



地金は和金形ですが素早く泳ぐような魚ではありません。2,3歩前進しては静止し半歩後退するような泳ぎをします。前進から静止、後退に移る時など次の動作に移る時にみせる、小刻みに惷動させて泳ぐ動作が誠に優雅であり、鑑賞の醍醐味です。純白の体色に口紅を付け真紅な鰭で、尾を開帳しながら蝶のように舞い泳ぐところから、芸を見せる金魚ともいわれ、地金の最大の魅力です。この泳ぎは、体高があり太く力感のある体形と地金独特の四尾からくるもので、保存会の会員が六鱗ではなく地金にこだわる理由でもあります。

传上地金照片与视频,希望大家了解它,喜欢它.或许它需要以刮鳞片来调整色彩,但这也是一种文化,如同小狗有的要断尾有的要剪耳,从金鯽到现在的金鱼,发长时间把它改良?改坏?到游动这么不方便,有的还带双大眼,大泡,大球和以短时间刮鳞片来调色,基本上应该是一样的事.斗牛,斗鸡,西班牙斗牛这也是一种文化,不过我想随着时代的进步会渐渐的会被废除改进的。基本上鹤顶红都可以把颜色固定下来,地金也有可能.需靠大家的努力来完成.

鱼类的标准看法是让鱼头朝上来看的,因为鱼在水中时,有的头朝上,有的头朝下,有的朝前,有的朝45度,有的朝135度,所以把它立为和人一样,头在上来看.若鱼身上有纹路,跟脊椎骨平行的叫纵纹(线),跟脊椎骨成垂直的叫横纹(线)


日本金鱼书上的所谓平衡,用中文来说的话应该是金鱼体型的对称均衡,即各种金鱼都有它的标准,要合乎它的标准,比如兰寿的话,不可头太大,口吻不可太短,眼距要宽,腹部不可太突出(方形头配上个大肚子就不对称挺憋忸的),不超过头宽,身体不可过长,各鰭短小,体型左右对称,尾鰭不可过大等等。




出云南京金鱼观赏的标准

•头部小,并且不可有肉瘤。头部不许有红色。另外,口要细且尖,眼宽要窄,并且口吻长的为好。

•腹部左右均等并且无毫牵强的膨胀,从上面观看的时候是呈等边三角形的为好。

•无背鰭,并且胸鳍,腹鳍,臀鳍要短,背部要稍带圆滑,并且尾芯要和向下弯的尾柄成等角度的为好。不过弯曲的尾柄不可像兰寿一样弯得太大。

•尾柄(联结身体与尾鳍的部分)粗,并且尾鳍適当的敞开,尾芯要直的为良。

•不可为三叶尾,或者是假四叶尾(分叉部分不大)。只限为四叶尾的(分叉要超过尾鳍一半)。尾柄要粗,并且尾鳍要敞开得当,尾鳍要柔软的为良。

•泳姿要直率,并且轻活无毛病的为好。

•清楚可怜之中带有品格,带韵味的鱼为好。

•鳞片的排列不可乱,并且色泽鲜艳的为好。

•至于体色,以11红为标准。白底配上少许的红色为良,但是红多于白或纯白也不要紧。

注:11红(各鳍,嘴上,鳃盖为红色,身体为白的金鱼)







観賞の基準

頭部は小さく肉瘤がないこと。赤くないこと。また口が細く、尖っていて、目幅は狭く、目先の長いものを良しとする。
腹部は左右均等に無理なく張ったもの、上から見ると二等辺三角に見えることを良いとする。
背ビレがなく、胸ヒレ、腹ヒレ、臀ヒレは短い、背なりはやや滑らかで尾心は背下がりと同等の角度をなすものを良しとする。ただしらんちゅうの様な背下がりは不可とする。
尾筒(胴体と尾ヒレをつなぐ部分)太く、尾張りがしっかりとして、尾芯のきいたもの。
三つ尾、桜尾は不可。四つ尾(半分以上割れる)に限る。尾筒は太く、尾張りはしっかりしていて、柔らかいものを良しとする。
泳ぎが素直で癖なく軽快に泳げるものを良しとする。
清楚さの中に、品格、味のある健康的な魚を良しとする。
鱗並びは乱れず色艶が鮮やかなものを良しとする。
体色は六鱗が基準。白勝ち更紗を良とするが、赤勝ち更紗や純白でもかまわない。
(六鱗=ろくりん:各ヒレ、口先、エラ蓋が赤く、胴体が白の金魚の模様)


『肉瘤的考察考』

醜得可爱的东西



兰寿是指,金鱼当中没有背鳍的品种,但是其中把兰寿叫为兰寿所下的定义其理由的第1个特征是头部有肉瘤。

本来,从明治时代区分为"大阪兰寿"和"狮子头兰寿"的事,是在看本文的诸兄弟们众所周知的事实吧。所说的"狮子头兰寿"是头部有肉瘤的,在关东很流行饲养的主要品种,并且正好相反"大阪兰寿"是极端厌恶头部有肉瘤的一个品种。

现在如说到"兰寿"就是指"狮子头兰寿"那是不用说了的。那个"狮子头"正好像是描写元旦舞狮子的头部的言语,冠在金鱼名称上的现在仅有"荷兰狮子头"而已。

把以上的事放在脑里,我想稍微考察一下那个独特的,对鱼来说毫无意义的"肉瘤"到底是什么东西。

在此先说明一下,在这个"肉瘤考"上特别把肉瘤作为重点来考证,对于兰寿来说并不表示肉瘤比什么都优先。肉瘤、整体的均衡、游姿、花样全部浑然成为一体,在此让我附加上一句鉴赏其姿态是鉴赏兰寿的一种无形的福气。请诸兄弟们不要误解。

那么你想一般人看完品评会后的印象是怎么样呢,看到了大金鱼,首先是打破了对金鱼既有的関連(一般的人都会想到捞金鱼时的土金鱼),首先有了"好大啊"的感想。再来就是看到肉瘤会觉得"恶心"。也就是说,肉瘤是一种令人感到恶心的东西。若通常像我们这样的爱好家以及鱼迷为什么会觉得肉瘤"美丽""很棒"呢!

昔日有"喜爱昆虫的公主"那样,对大半的人在生理上会回避蛇等的爬虫类也能感到美的人其本性到底是什么东西呢!很想弄清楚。觉得人的所谓"好恶"的感情是一种非常微妙的感觉。

在中国金鱼里,有"狮子头"兰寿型的金鱼,但是是否我们是否也会觉得那个肉瘤美丽呢?那个肉瘤毫无秩序的膨大,甚至连眼睛都遮盖住了到了看不见的程度,像毛线团连在躯体一样的体型,并且连游动都不自在的品种。

我认为这是由于金鱼鉴赏方法之间的差异所造成的。感觉到这纯粹是一种文化呢!

觉得中国的鉴赏方法是把金鱼的"奇珍性"作为第一个要义。(个人觉得中国的金鱼有很多很美的,蝶尾,宫鹅,齐鳃红等等不胜枚举,而且既然能将肉瘤美化,难道就不能美化珍珠鳞,水泡,绣球等等吗?)和日本历史一起蕴育出来的美感是把从中国传来的东西,让它換骨奪胎,成为自己独特的东西。

汉字也一样、佛教也一样、,盆栽也一样,还有现在也在演进中、日语式英语也一样。我们的祖先采纳汉字、,从里面又发明了"平假名"。佛教也衍生出很多的宗派,还有佛教艺术在历史上留下了众多伟大的遗产。用片假名表示出来的多数外来语以和生活密切关系的形式、甚至连英语国家也行不通的语言、在我们之间作为通常用的语言而日语化。

金鱼有幸的是一种具有不安定遗传要素的生物,可以说这种变异性在仅仅的几百年里,就把本来从中国传来的东西、用完全不同的鉴赏方法技术变成日本最高至极的东西

在中国上面所说的"奇珍性"也就是奇妙的东西、把稀少具有独特形状的鱼作为"招福鱼"来珍重的这种姿势,变成了更尊尚把包含更怪诞的东西在内而更夸大其畸形性的这种观赏法,成为从撇开全部的框架限制里面利用遗传因子的奔放,凭借自由流露的淘汰方法,现在对于喜欢或讨厌中国金鱼就另当别论,被认为是一种独特的东西。

在我们日本人的审美意识里,对于样式美、形式美、有条不紊的美拥有一种贪得无厌的探险心。对于肉瘤这是和中国兰寿所不同的,可以说是连绵不断地那种审美意识的流露。

肉瘤的分类不管怎么说只不过只是一种分类而已。

充满多彩多姿的形状,组合,更增加了鉴赏的幅度,使得我们可以一饱眼福。狮子头、鼓腮、高头、突出的吻端证明不是全部都是龙头,请摒弃那种浅见的想法。

对于具有特征的头部决定其好坏在其他的场合也讨论过了好几次了。

那么稍微探讨一下,我们甚至于到固执那种程度对肉瘤所固执的意味。

我对兰寿的肉瘤,很漠然地感到和女性美等的肉体美是相通的。自古以来女性的姿态就被用雕刻以及绘画描写了下来的。那柔和的曲线美以及乳房的形状,到底怎么刺激到人们的懊悩而不停。相反地也赞美男性肌肉美那种筋骨隆隆的美感。感到肉瘤和人类的肉体美,有什么无法分开的共同点而禁不住。

仅对肉瘤等个体的一部分注目、执着的话一般就称呼为"恋物癖"。

物神崇拜=物神=恋物癖这些用语是同一种意思,弗洛伊德利用那种概念试图来说明性偏差。比方说只对女性的腿感兴趣,对女性其本身好像不感兴趣的癖好等等,目的变成手段,使得本末倒置了的所谓精神病的一种概念。

物神崇拜是经济学、心理学、宗教学所使用的言语。

先对偶像崇拜、象征性存在、性偏差(狭义)、咒物崇拜、物神崇拜、某个东西的意味状态而拘泥的样子。表现从性偏差等人的深处所洋溢出来的癖性或者不能完抑制的什么东西的手段,把它偷偷地换成对某个东西而感到满足感的一种样子状态。

如此看的话,则也可以认为物神崇拜发动要因是作为人类本能而普遍地被印记进去的东西。

对丑陋难看东西的偏爱(物神崇拜)、美化行为、形状的沉迷或许可以说是赋予本能出了问题的动物中人类的东西。

自太古时代就被印记进去的遗传基因应该不会选辨美和丑的东西或者好恶感,但是如果突破某个点的话则会反转的机理好像存在。

暗藏在人类DNA里的那遥远的记忆,因某个起因而觉醒,这个也可想成是偏爱的理由。美的标准是一种官感感受的世界,觉得这个也和情色有很深的关系。因此不能数字化,仅可以把它归结是深藏在个人身上的一种才能这样来想。话说回到兰寿,则鉴赏力也是不能数字化的一种个人才能的事就变得容易了解了。

还有,因欣赏肉瘤而把丑对换成美了・・・美到达某一个饱和点的话,物神崇拜美就升华为物神崇拜象征(象征性)。那确实是崭新美的发现。所说的某一饱和点就是在鉴赏兰寿时、根据观看过几百条金鱼而养成更高层次的鉴赏力,踏上和陶瓷器的鉴赏力或者是艺术一样的路径。到了这样,和习惯、风俗、文化、语言这个历史纵轴的关系就会收敛于美这个一点。金鱼这个生物因和人类产生关系而所成立的事是可以理解的吧。

因此对于偏爱在先或者美在先这个提问而言。可以断言是偏爱在先。比如、看到各各时代的佛像而感到的美感,如何来表达比较好呢。在佛像这个一种表达的框架里,那个作者到底在追求什么呢。可以说镰仓时代的运庆、堪庆把皈依佛教、时代新潮流的武士级的清新的心灵深处寄托在佛像中。剧烈的压倒人的那种力感象征着那个时代,那种表达方法是很卓越的。

我们这些饲养家是表达者的话、和佛像同样在一定的框架里把什么选为美、如何让它升华成为比什么都还重要的地方。整体的均衡也是当然的事、兰寿的情况、可以说作为美不美的标准,肉瘤还是最重要的部位中的一个。

关西,大坂兰寿绝灭后,深痛地理解到肉瘤的重妻性,然后终于导向拥有独特肉瘤的京都兰寿的事是理所当然的。

说到美,能从森罗万象的所有的事物中发现。从人类的价值观(文化、习惯、言语〉发生,用人类的手把杂质去掉,琢磨因而形成了带有审美的普遍性。动用病态的物神崇拜这个関連,我所论及的事是解明丑陋的肉瘤向美升华过程的事。

再三的说了好几次那样,肉瘤并不可以说是第一个存在。今日,龙头特别受宠礼赞,不认同这个以外的态度应该可以说是视野狭窄吧。理由是肉瘤的变化因个体而形成各式各样,因为从美醜的观点来说特别值得一笔拥有韵味的肉瘤是以各式各样的形状存在的。这个还需附加一句话,那就是说兰寿不是仅仅只有评价其肉瘤的。

以下,介绍一下京都某个品评会的画像。

这个会是根据独特的饲养方法,来维持具有与众不同肉瘤特征系统之一个会。对我来讲去参观这个会能清除对兰寿所做的狭窄的想法那样非常具有冲击性。我觉得可以说想要写有关肉瘤的动机主要是受惠于有了参观这个会的机会也不为过的。

在我的网站,介绍了日本兰寿爱好会等等、对于肉瘤有很紧密的规定,专心致志的会,况且可以说那个魅力不是见到的人是不会明白的。

这个会就鱼的大小来讲比起我们的鱼小多了,街坊间好像有人说是"豆兰(袖珍兰寿)",但是那个肉瘤的确很棒特别令人瞩目是件不争的事实。在和头硬且大的兰寿比较时,如果是我的话会选择这个,这是身为肉瘤拜物者来说是理所当然的吧。

观看着自己的鱼,沉浸在那愉悦的瞬间,时间的潮流好像停止那样的官感感受。·

把重心放在肉瘤上也是一种乐趣,兰寿摇摆生姿的操动尾鳍加上细致排列的鱼鳞而感到至高无上的愉悦也是一种乐趣,是爱好的世界。享受的方法是因人而异。我认为什么也不否定相对的鉴赏态度是会找出对艺术的方向性,不是吗?但是我的提问依然是肉瘤拜物狂,不不,这也好像在金鱼之中从兰寿拜物狂这个框架中被解放出来,不就是这样吗?

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『』

醜きものへの愛おしさ



らんちゅうとは、金魚の中でも背鰭のない品種ですが、中でもらんちゅうをらんちゅうと定義する所以の第一の特徴とは、頭部に肉瘤があることだと思います。

そもそも、明治時代より「ししがしららんちゅう」と「おおさからんちゅう」とを区別をしていたことはこのべ一ジをご覧になっている諾兄には、周知の事実でありましょう。「ししがしららんちゅう」とは頭に肉瘤のある主に関東で飼育が盛んだった品種であり、「おおさからんちゅう」は反面、頭に肉が上がるのを極度に嫌った品種でありました。

現代では「らんちゅう」と言えぱ「ししがしららんちゅう」を指すのは言うに及ぱないことでしょう。その「ししがしら」とはまさに正月の獅子舞のあの頭部をイメージした言葉ですが、主に金魚ではその名称を冠するのは、今では「おらんだししがしら」のみとなっています。

以上のことを念頭に置いて、私はその独特の、魚には到底無意味な代物である「肉瘤」とは如何なるものかを少し考察してみたいと思います。

ひとつお断りしますが、この「肉瘤考」では特に肉瘤に主眼を置いての論考を進めていきますが、らんちゅうにとって肉瘤が全てに先んじると申し上げているわけではありません。肉瘤:総体的バランス:泳ぎ:色柄の全てが渾然一体となり、その姿を鑑賞することがらんちゅうの鑑賞の冥利であることをここに付け加えさせて頂きます。諾兄の誤解のないように。

さて一般の方々の、品評会を見ての印象はどんなものだと思いますか?大きい金魚を見てまず金魚という既成概念を打ち破られて(一般の方は金魚掬いの小赤をイメージされますよね。)、まずは「大きいなあ。」という感想をお持ちになり、さらに肉瘤を見て「気持ち悪い。」と言いますよね。つまり、肉瘤は気持ち悪いものなのです、普通は、ならば、私達のような愛好家並びにマニアは何故そんな肉瘤を「美しい」やら「素晴らしい」と思うのでしょうか。

古来には「虫を愛でる姫」が居たように、大半の人が生理的に忌避する蛇などの爬虫類にさえ美を見出す人間の性とは如何なるものかを解明したいと思うのであります。人間の「好悪」という感情は大変微妙な感覚だと思います。

中国金魚で、「ライオンヘッド」なるらんちゅう型の金魚がいますが、私達日本人はその肉瘤を美しいと思えるでしょうか?その肉瘤は無闇にあがっていて目も見えないほどで、毛糸の玉に胴体が取ってつけたような体型で泳ぐこともままならない品種です。

私は、これは金魚の鑑賞方法の相違から来ているものだと思います。まさしく文化なのだと感じるのです。

中国での鑑賞方法は金魚の「珍奇性」を第一義とするのだと思います。日本の歴史とともに培われてきた美的感覚は、中国から受容したものを換骨奪胎して独自のものとしてきました。

漢字しかり、仏教しかり、盆栽しかり、そして現在進行形ではありますが、和製英語しかりです。私達祖先は、漢字を取り入れて、その中から「ひらかな」を発明しました。仏教は多くの宗派を生みながら、そして仏教芸術は歴史に多くの偉大な遺産を残してくれました。カタカナで表現される多くの外来語は、生活に密着する形で、英語圏では通じない言葉さえ私達の中で通用する言葉として日本語化してしまっています。

金魚は、幸いというか不安定な遺伝的要素を含む生き物で、その変異性は僅か数百年で、本来中国伝来のものを、全く別の鑑賞方法や技術をして、日本化出来た最たるものと言えるのではないでしょうか。

中国での上述したような「珍奇性」つまり奇をてらったもの、珍しい独特の形状を「家に福を呼ぶ魚」として珍重するという姿勢は、よりグロテスクなものをも包含した奇形性をより誇張したものを尊ぶという鑑賞方法となり、その全ての枠組みを外した中から遺伝の奔放で自由な発露に任せた淘汰方法となって、現在の中国金魚を好き嫌いは別にして、独特のものにしているのだと思われます。

私達日本人の美意識には、様式美・形式美・整然とした美しさに対する飽くなき探究心があります。肉瘤に対してのそれは、中国らんちゅうとの相違として、連綿と続くその美意識の発露と言えるのではないでしょうか。

肉瘤の分類はあくまで分類に過ぎません。

パラエティ溢れる形状、組み合わせは、鑑賞の幅を弥が上にも増やし、私達の目を楽しませてくれます。獅子頭・おかめ・兜巾頭・突出した吻端は、龍頭が全てではないことを証明し、そんな了見の狭い考えを払拭してくれます。

特徴のある頭には優劣が付けがたいことは他の場所でも何度も論じてきました。

さて、少し私達のその執拗なまでの肉瘤への固執の意味を探ってみましょう。

私はらんちゅうの肉瘤に関して、女性美などの肉体美に通じるものを漠然と感じています。古来より女性の姿態は彫刻や絵画に描かれてきました。その柔和な曲線美や乳房の形状は、何か人間の懊悩を刺激してやみません。逆に男性の筋肉美も隆々とした美しさをたたえています。肉瘤と人間の肉体美とは何か共通点を感じずにはいられません。

肉瘤など個体のある部分に注目すること、固執することを一般に「フェチ」と言います。

フェティシズム=フェティッシュ=フェチこれらの用語は同一の意味で、フロイトはその関連を便い、性的倒錯を説明しようとしました。例えば、女性の脚にのみ興味を示し、女性そのものには興味を示さない性癖など、目的が手段化してしまうような本末転倒したいわゆる精神病の一種としての関連です。

フェティシズムとは経済学・心理学・宗教学で、使用される用語です。

偶像崇拝・象徴的存在・性的倒錯(狭義には)・呪物崇拝・物神崇拝・一つの物の意味の有り様に先立ちこだわるさま。性的倒錯などの人の内奥より溢れ出る癖または押さえ切れない何物かを表現する手段を、ある物にすり変えることによって充足感を覚えるありさま。

こうやって見てきますと、フェティシズムの発動要因とは、人間に内在する機能として普遍的に刷り込まれたものかとも考えられます。

醜悪なものに対する偏愛(フェティシズム)・美を見出す行為・形へのこだわりは、本能の壊れた動物である人類に付与されたものと言えるかもしれません。

太古より刷り込まれた遺伝子は、美的なものと醜悪なもの、あるいは好悪感というものにおいて事物を峻別するはずでありますが、ある一点を突破すると、それは逆転してしまうメカニズムが存在するようです。

人間に秘められたDNAの遥かな記憶は何かをキッカケに呼び覚まされ、それが偏愛の理由であるとも考えられます。美しさの基準は、官能の世界であり、それはエロティシズムとも深く関係していると思われます。だから数字化などはできないし、個人の秘めたる才能に帰結するとも言えると思います。らんちゅうに還元すると、鑑識眼が数字化出来ない個人的才能によることで良く分かると思います。

また、肉瘤を愛するが為に醜悪が美に転換される・・美はある飽和点に達すると、フェティシズムはやがてシンボリクム(象徴性)に昇華されます。それはまさしく新しい美の発見です。ある飽和点とは、らんちゅう鑑賞では、何百という金魚を見る事によって、より高次の鑑識眼が養われることであります.陶磁器の鑑賞眼や芸術は同じ道を辿ります。ここに至って、慣習・風習・文化・言語という歴史の縦軸との関係性が美という一点に収斂していきます。金魚という生物は、人間との関わり合いを持つ事によってのみ成立するものであることが理解できるでしょう。

従って偏愛が先か美が先かという問いに対しては、当然偏愛が先であると断言出来ます。例えぱ、それぞれの時代の仏像を見て感じる美しさはどのように表現したら良いでしよう。仏像という一つの表現のフレームの中に、その作者は何を求めたのでしょう。鎌倉時代の運慶・堪慶は、仏教に帰依する、時代の新しい潮流である武士階級の清新な心根を仏像に込めたと言われます。猛々しさ、人を圧倒する力感は時代を象徴していますし、その表現方法は卓越しています。

私達飼育者が表現者であるとするならぱ、仏像と同様に、一定の枠組みの中で何を美へと選択し、昇華させるかが何よりも重要なポイントとなります。総体的なバランスも然る事ながら、らんちゅうの場合、美しさの基準として、やはり肉瘤は最重要ポイントの一つと考えてもよいかもしれません。

関西は、大坂らんちうの無きあと、肉瘤の重妻性を痛いほど理解し、それがやがては独特の肉瘤を持つ京都筋のらんちゅうへと引き継がれていくのは理の当然であったと思われます。

美とは、森羅万象全ての事物から発見することが出来ます。人間の価値観(文化・習慣・言語〉から生まれ、不純物を人間の手で削ぎ落とし、磨き上げる事によってそれはやがて美的な普遍性を帯ぴるのです。病的なフェティシズムという関連を動員して私が論じていることは、醜悪な肉瘤が美へと昇華する過程を解き明かそうとする事であります。

何度も言うようですが、肉瘤で一番というものは存在しません。今般は、龍頭がもてはやされますが、それ以外は認めないという態度は、それは視野が狭いと言うべきでしょう。何故なら肉瘤のバリエーションとは個体によってさまざまで、美醜の観点から言いますと、特筆すべき味のある肉瘤とは、いろんな形で存在するからです。これまた付言しておきますが、らんちゅうは肉瘤のみで評価出来るものではないとも申し上げておきます。

以下に、京都のある会の品評会での画像を紹介しましょう。

この会は、独特の飼育方法により、肉瘤に際立った特徴を有する系統を維持している会です。私にとってこの会を見学することは、らんちゅうに対する狭い了見を払拭することが出来たと思うほど衝撃的でした。肉瘤に関して執筆しようと思った動機は、主にこの会を見学する機会に恵まれたからと言っても良いと思います。

私のサイトでは、日本らんちゅう愛好会など、肉瘤をしっかりと規定して取り組む会をご紹介していますが、それにも増してその魅力は見た人でないと判らないとも言えます。

この会は、大きさに関しては私達の魚に比較しても大変小さく、巷間、「まめらん」と言われる方があるようですが、その肉瘤の素晴らしさは特に目を見張るものであることは紛れも無い事実であります。頭の固い大きならんちゅうとそれとを比較した場合、私ならこちらを取るのは、肉瘤フェチとしては当然でしょう。

持魚を見て愉悦に浸る瞬間は、時間の流れが止まるほど官能的ですらあります。

肉瘤に重きを置くのも一興、惚れ惚れするらんちゅうの尾捌きに、鱗の細やかな並ぴに至高の悦びを覚えるのも一興、趣味の世界です。楽しみ方は人によってそれぞれ。何も否定しない相対的な鑑賞態度が芸術への方向性を見出してくれるのではないかと私は考えます。しかしながら、私の問いは依然、肉瘤フェチ、いえいえ金魚の中でもらんちゅうフェチという輪からは解き放たれようとはしないのではないでしょうか。

2001年1月write

「兰寿」两字的语源    翻译(王充志)



实在很抱歉再次论及,在金鱼里面对"蘭寿"这一词不会有异样感吗?

觉得"兰寿"这一词的声调发音不是日语。

和金或者琉金,荷兰獅子頭这些还可以理解,但是把"兰寿"写成"卵虫"仅只能认为是一种谐音字。※"荷兰"等也是Holland的谐音字。

还有也多多少少感觉到"兰寿"也是谐音字。

也就是说感觉到"兰寿"这词只是取它的发音而已。特别是在日语里"寿"这个发音,并不怎么能找得到。

如此这样就有了。在网络上找的时候正好碰到熟人把这个疑问解决了。

在江户时代,好像把从中国来的这种没有背鳍的金鱼称呼为"蛋種"。发音是"danchumu"→"danchu"→"lanchu"。日本人听成的是"ranchu"吧。"蛋,"是鸭卵的意思,正如所说的无背鳍金鱼的样子。

原来如此,是这样的啊,这完全可以理解。觉得有点奇怪・・・・・・果然是这样。





らんちゅうの語源



そもそも論で申し訳ありませんが、金魚の中でも“らんちゅう”って言葉に違和感感じませんか?

“らんちゅう”って言葉の響きが日本語ではない感じがするんです。

和金やら琉金、阿蘭陀獅子頭なんてのは納得がいきますが、“らんちゅう”を「卵虫」なんて当て字にしか思えなかったんです。※「阿蘭陀」などもオランダの当て字ですよね。

それとか「蘭鋳(鋳の金が魚)」なんてのも当て字だと薄々気が付いていました。

すなわち“らんちゅう”とは、発音の音だけ取ったものなんじゃないかって思っていたわけです。“ちゅう”なんて発音は、特に日本語ではあんまり見当たらないんですよね。

そしたらありました。サイトで探したら知り合いの方がちゃんとその疑問を解明されてました。

江戸時代に中国から入ってきたとき、背びれのないタイプの金魚を「蛋種」と言っていたそうです。発音は『ダンチュム』→『ダンチュウ』→『ランチュウ』。日本人が聞き取ったのは『らんちゅう』だったんでしょう。「蛋」はあひるの卵って意味で、まさに中国語で背びれの無いタイプの金魚の形態を言っていたんですね。

なるほど、そういうことか、大納得です。なんかおかしいと思っていたら・・・やっぱり。


关于"ranchiu(冉奇无)"的语源  注:把<奇无>合念成一个音。就如<甭>是<不用>、<这zhei>是<这一zheyi>的合音一样。

说到~"ranchiu(冉奇无),"这是什么词、有什么意思呢~

2012.10.16

龙锦(撰文者)



・"ranchiu(冉奇无)"这样的名称  翻译(王充志)



对于日本的"rantyu(冉纠)"完全用不到我解释,许多人在网络上也介绍着。不过为什么叫这个品种的鱼为"rantyu(冉纠)(以下写成ranchiu(冉奇无)")呢?用漢字写成"卵虫"还有有时也写成"鱼+兰""鱼+寿",但是我认为这些汉字都是谐音字。

从"ranchiu(冉奇无)"这一词,无法立即理解日语的意思,作为日语并不觉得有任何意思在。对一般的日本人而言这个词好像带有汉语(中文)那种印象。

在日语之中,有许多不觉得是汉语那样在使用的词。比方说"suika","mikan","isu","kirei","kawai"等等。这些好像是日语,但是和中文很像的发音。分别是"西瓜","蜜柑","椅子","绮丽","可爱"。

像这样,可能在无意识中使用的日语有时也是汉语,但是相反的"ranchiu(冉奇无)"在中文中,要找出这样的金鱼品种或名称是困难的。

用中文,金鱼品种的名称根据地方而不一样,一般把日本的"ranchiu(冉奇无)"那样的品种称为"獅頭","虎头"或者"寿星"的其中一个。这些的读法在中国语里的普通话(标准语)弄发音用日语的假名来标识的话就成为<shitou>,<fu(ho)tou>,<syosimu>"。不管哪一个都不会听成<ranchiu(冉奇无)>。

那么,日本为什么有"ranchiu(冉奇无)"这样的名称呢?

・江户时代"ranchiu(冉奇无)"这样的名称

从江户时代起就有的"teusen(朝鲜)"这种的叫法,当时也写成"金鼈","金鱉",而读为"ranchiu(冉奇无)"。江户时代的"ranchiu(冉奇无)"别名也被称为"marukko(丸子)","teusen(朝鲜)","朝鲜金鱼",比和金,琉金还古老的名称。朝鲜(金鱼)就是意味着经过朝鲜传到日本的金鱼,还有当时把从外国来的珍奇物说成"teusen(朝鲜)"物,"唐(kara)物",这样的叫法是可以推测得到的。(如同胡瓜,洋葱)

当然、现在的"ranchiu(冉奇无)"是在明治时代观鱼会创始人东京浅草石川龟吉先生所完成的东西,在江户时代像现在这样优美狮子头的兰寿是不存在的。

即使这样,刚刚说过的那样,在江户时代已经有"ranchiu(冉奇无)"所说的maruko(丸子)品种的金鱼称呼、名称,"卵虫"这个记述在1748年出版的安达喜之的"金鱼養玩草"里也可以窥见到。另外,1751年加注日本读音的"閩书南产志"(何喬遠)上,"寸金鱼"上附有ranchiu(冉奇无)这个用假名写的读音。在1759年刊行的"广大和本草"上,"兰职乌"上附有ranchiu(冉奇无)这个用假名标注的读法。

1830年刊行的"嬉遊笑覧"上也有把"金鱉称为ranchiu(冉奇无)还是丸子等等叫法,1837年刊行的"守貞漫稿"上"在京阪把这个兰虫加注为ranchiu(冉奇无),江人把丸子加注为marukko(丸子)。

像这样,说明填用在"ranchiu(冉奇无)"的汉字有很多种,可以说这些汉字就是谐音字的。也就是说传来的这个词不是文字而是读音(声音),就因为不晓得这个发音到底用什么样的汉字来表示才好,觉得这一定是后来才想出的。就如同在castela(蜂蜜蛋糕)或vidro(玻璃)这种外来语用漢字来表示一样的诀窍。

也就是说,"ranchiu(冉奇无)"是外来语,在当时闭关自守的时代,觉得这是从只对外国开放的长崎那里进到日本国内的表达中的一个。

那么,到底是哪国语呢?被认为是荷兰语,西班牙语,葡萄牙语,中国其中的哪一个。



・栗本丹州的"ranchiu(冉奇无)"绘图

换个话题吧,在这里想要知道"ranchiu(冉奇无)"到底是哪国语,有一个很重要的线索那就是一位叫栗本丹州的人所留下来的"ranchiu(冉奇无)"绘图。

称为栗本丹州的是江户幕府专聘医生也是本草学者(博物学学者)(本名是昌臧1756年-1834年)。他画了许多的"鱼谱"。这些鱼谱的保存数也多,实在是画得很细腻精美。(得知实际上这些鱼谱是从在宝历年间(1751-63)高松藩所制作的众鳞图这个鱼谱复印来的东西。)不过被认为这些丹州的鱼谱对后代的影响很大。

在明治时代,在博物局制作的"博物馆鱼谱"里面也有这个丹州的绘图,这些绘图被搜录在平凡社"彩色江户博物学集成"第190-191页里。

在这片丹洲的绘图里,对着当时的maruko丸子(像当今ranchiu(冉奇无)祖先那样的金鱼),

有金鱉又名金鱗鱼又叫为蛋鱼,日本名称是ranchiu(冉奇无)或者是danchiu(览奇无)这样的解说(下图参照)。

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"金鳞鱼",字正如其意,鳞为金色的鱼。"蛋鱼"就是身体像鸭蛋那样圆圆的(没有背鳍)鱼的意思和"蛋种"同义。

在这里重要的是"ranchiu(冉奇无)"或者"danchiu(览奇无)"这样的解说。这个记述在安达善之的"金鱼養玩草"(1748年刊行)里也可以看到。在很多的图书里,仅只有"ranchiu(冉奇无)"这样的记述,但是在栗本和安达的绘画书籍里记载着两种读法。也就是说,这意味着"ranchiu(冉奇无)"在18世纪那时,发音为<ranchiu(冉奇无)>或者<danchiu(览奇无)>。表示出所谓的"ran(冉)"其发音有可能听为<ran(冉)>音,也有可能听成<dan(览)>音的意思。我觉得如果懂中文的人应该知道这个意思,中文的无气声<dan(览)>这个发音对日本人来说也应该有可能听成<ran(冉)>。

那么,这个有可能听成<ran(冉)>和<dan(览)>的音,说到汉字到底是哪个字时,判断为刚刚所说的"蛋"。根据栗本好像也被称为"蛋鱼"所以"ranchiu(冉奇无)"的"ran(冉)"肯定应该是"蛋"不会错的。那么,接下来,"chiu(奇无)"是什么呢。根据栗本所说,好像也被称为"蛋鱼",但是不会把"鱼"发音为<chiu(奇无)>吧。用日语,是<gyo>,中国语里日语所没有的发音也写成<yui(由壹)>吧!没听出<yu(由)>,或许听成<i(壹)>也说不一定。不过没把口往左右拉开而是往前突出发出<i(壹)>的声音,所以和日语的<i(壹)>是决然不同的音。那么不是鱼是什么呢?



・中国金鱼的分类

在思考"chiu(奇无)"是什么的时候,在中国金鱼的叫法、分类具有参考作用。

在日本,金鱼是500年前从中国进口之后,仅只有养过限定的几个品种的金鱼,没做过给金鱼品种分类的事。另一方面在中国,形态性质(特征)多种多样,出现许多的品种,就有其分类方法。现代中国金鱼的分类方法,有两大种。

一个是分成草种,文种,龙种,蛋種4种的方法。还有一种是以有没有背鳍为基准分为龙种和蛋种两种的方法。还有这两个方法都使用龙种这个叫法,但是其分类上的意思却不同。

①4分类法

草种是有鲫鱼形状的金鱼,也就是说原始金鱼也可以说是红鲫鱼的金鱼。文种是像琉金那样具有普通的眼睛背鳍的金鱼。龙种是凸眼有背鳍的金鱼。蛋种是无背鳍的金鱼。

蛋就是鸭蛋,因为体型正与它相似,所以这样叫。

②2分类法

用这个分类法,把4分类法的"草种"从分类法中剔除。这是进化之前的金鱼(原始金鱼),好像是由于没有观赏价值。

另外,4分类法的"文种"在2分类法中包含于龙种,以它的意思,2分类法的龙种是包含很多品种在内的関連。

像这样,不管用哪一个分类法,也都有"蛋种"这样的叫法。这些叫法假如从日本江户时代起就有的话,当时被带进日本的无背鳍金鱼被称为"蛋种"这一点也不奇怪的。



・中国普通话的"蛋种"

像已经说过的那样,把日本的"ranchiu(冉奇无)"作为中国金鱼,套用在中国金鱼分类的话,就成为"蛋种"金鱼。这个"蛋种"用中国共同语言的普通话,中国语发音记述的拼音来书写的话就成为<dan zhong蛋种>,勉勉强强把它的读法用当片假名来记述,就成了"dantyomu览秋牟"了。其中,<dan览>是日本语里所没有的发音,叫做无气音的发音,所以是接近<dan览>的发音,对日本人来说也有可能听成<ran冉>。不管怎么样总觉得<tyomu秋牟>很有可能会听成<chu(chiu奇无)>。

因而,"ranchiu(冉奇无)"的语源为中国语"蛋种"的可能性很高,但是很难说是现在的普通话(共同语)"蛋种"的发音。普通话是接近北京话的北方的中国语,所以和作为金鱼进口来源的南方中国语不一样,因此感觉发音也略有不同吧。



・广东话的"蛋种"

金鱼进入到日本的途径,被认为是来自南方的海路,可以想像到在这海路上活跃的人是说广东话等等的南方中国语。那么作为中国南方语言(方言)在香港,台湾,东南亚广泛使用的广东话,"蛋种"是怎么发音的呢?

广东话的发音记述是没有统一的,好像有好几种,用东方书店"广东话辞典"记述的发音就成为<darn jung>了。

广东话,<d>也是无气声,<arn>是带鼻音的长母音,不像日语的长音那样长来发音。因此<darn>变成了<da(-)n>。和普通话(标准语)一样,对日本人来说肯定也应该听成<RAN>。

在另一方面<jung>的<j>接近国际表音文字<dz,dʒ>的发音。<u>接近标准语的u,<ung>带鼻音的短母音,稍微发低音。因此用片假名来标记的话是<jumu>,一定很可能听成<chu(u)>。

根据以上,广东话的"蛋种"肯定会听成rantyu(u)。以长崎为中心的贸易广东人解释"这种金鱼是蛋种"的话,这对日本人(正确的说是西洋人和日本人)来说一定是听成"这条金鱼是ranchiu(冉奇无)"而不会错的。就这样可以说是解开了江户时代"danchiu(览奇无)"的语源了。

再来、把"ranchiu(冉奇无)"导进日本的人如果是上面所说的是中国人的话,肯定应该也可以写汉字来说明的,在日本肯定用汉字应该就这样可以用来传达的。(还有导进金鱼的中国人不会写汉字的可能性也不能否定。)或许中国人船员留在船上没登陆,登陆的是西洋人,作为礼物送给日本人时,也可以考虑到西洋人仅能用声音(发音)来传达的。



・"ranchiu((冉奇无))"="蛋种"

根据以上所见的那样,"ranchiu(冉奇无),"是"蛋种"的中国语,特别是可以考虑为来自于广东话等的南方中国语。

至于"ran,"中国语发音为<ran>的荷兰的"兰"以及发音为<rua(e)n>的"卵"在日本书里面的"dan"的假名注音没办法解释的。不管哪个字都是谐音字。所以,"ran,"为"蛋"是正确的。

就"chiu(奇无)"来说,"虫"的记述用中国语(普通话)是发音为<chion>,很难听成<chiu(奇无)>。"鋳"(或者鱼寿)的字用日语是<chu>,但是用中国语发音为<syo->。因而就同广东方言也说明过的那样,作为中国金鱼分类也使用的"种"可以说是正确的。

也就是说,"ranchiu(冉奇无)"="蛋种"就是中国语(中国南方广东那一带的中国语)的发音。

"ranchu"用汉字可以写成"兰鋳""金鋳""蘭畴"以及"卵虫",是由上边来观赏的金鱼的代表性品种,被成为金鱼之帝,在日本全国各地,频繁的举办品评会。





「らんちう」の語源について



~「らんちう」とは何語なのか、どんな意味があるのか~

2012.10.16

龍錦



・「らんちう」という呼称



日本の「ランチュウ」については、私が解説するまでもなく、多くの方々がウェブ上でも紹介されています。ただ、この品種の魚を何故「ランチュウ」(以下「らんちう」と書く)と呼ぶのでしょうか。漢字では「卵虫」とか、魚編に「蘭」と「寿」と書いたりしますが、私はこれらの漢字は当て字だと考えています。

「らんちう」という言葉からは、すぐに日本語の意味が理解できず、和語としての意味を持っているとは思えません。普通の日本人ならこの言葉が漢語(中国語)のような印象を持たれることと思います。

日本語の中でも、漢語だと言う認識無しに使っている言葉はたくさんあります。例えば、「すいか」、「みかん」、「いす」、「きれい」、「かわいい」などです。これらは和語のようですが、中国語にそっくりの発音があります。それぞれ、「西瓜」、「蜜柑」、「椅子」、「綺麗」、「可愛」です。

このように無意識のうちに使っている日本語の中に漢語があることもありますが、「らんちう」は、逆に中国語の中に、この手の金魚の品種や呼称を見出すことは困難です。

中国語では、金魚の品種の呼称が地方によって様々ですが、一般に日本の「らんちう」のような品種を、「獅頭」、「虎頭」、または「寿星」のいずれかで呼んでいます。これらの読みは、中国語の普通話(基準語)の発音では、日本語のカタ仮名で表現すると「<シートウ>、<フ(ホ)ートウ>、<ショウシム>となります。どれも、<ランチウ>とは聞こえません。

では何故、「らんちう」という名称が日本にはあるのでしょうか。



・江戸時代の「らんちう」という呼称

江戸時代からある「らんちう」という呼称は、当時は、『金鼈』、『金鱉』とも書き、「らんちう」と読んでいます。江戸時代の「らんちう」は、別名「まるっこ」、「てうせん」、「朝鮮金魚」とも呼ばれており、和金、琉金より古い呼称です。朝鮮(金魚)とは朝鮮を経て日本に来た金魚という意味か、または、当時外国から来た珍しい物を「てうせん」、「唐(カラ)」ものと言った呼び方で呼んだことによるものだと推察されます。

勿論、現在の「らんちう」は、明治時代に観魚会の創始者である東京浅草の石川亀吉氏により完成されたもので、江戸時代には今のように獅子頭の優れたらんちゅうは存在しませんでした。

それでも、先に述べたとおり、江戸時代には既に「らんちう」という丸っこい品種の金魚の呼称、名称があり、『卵虫』という表記は、1748年に刊行された安達喜之の『金魚養玩草』にも見られます。また、1751年に和訓をした、『閩書南産志』(何喬遠)には、『寸金魚』にランチウというフリ仮名が付いています。1759年刊の『廣大和本草』には『蘭職烏』にランチウというフリ仮名が付いています。

1830年刊の『嬉遊笑覧』には「金鱉はらんちう又丸子など呼ぶものあり」とあり、1837年刊の『守貞漫稿』には「京阪コレヲ蘭虫ト云ランチウト訓ス江人コレヲ丸子ト云マルッコと訓ス」とあります。

このように、「らんちう」に当てはまる漢字が何通りもあるということは、これらの漢字が当て字であることを示していると言えるでしょう。つまり、日本にこの言葉が入って来たのは文字ではなくて、言葉(音)であって、この発音がどういう漢字で当てはめたらよいのか分からなかったからこそ、後に当て字が考えられたに違いないと思います。カステラやビードロといった外来語に漢字を当てはめるのと同じ要領です。

つまり、「らんちう」とは外来の言葉であり、当時鎖国時代に外国に門戸を開いていた長崎方面から日本国内に入ってきた表現の一つと考えられます。

では、何語なのでしょうか。オランダ語、スペイン語、ポルトガル語、中国語のいずれかであると思われます。







・栗本丹州の「らんちう」絵

さて、ここで「らんちう」とは何語なのかを知る上で、重要な手がかりとなる栗本丹州という人物の残した「らんちう」の絵があります。

栗本丹州なる江戸幕府のお抱え医師は、本草学者(博物学者)でもありました(本名:昌臧1756年~1834年)。彼は、多くの「魚譜」を描いています。これらの魚譜は収蔵数も多いのですが、実に精緻な描写となっています。(実は、これらの魚譜は宝暦年間(1751-63)に高松藩の作成した衆鱗図という魚譜を写本したものであることが分かっています。)ただ、これら丹州の魚譜が後代に与えた影響は大きいと言われています。

明治時代に博物局で作成された『博物館魚譜』の中にこの丹州の絵図が納められており、これらの絵図は、平凡社『彩色江戸博物学集成』の190-191ページに収録されています。

この丹洲の絵図の中に当時のマルコ(現代のらんちうの祖先のような金魚)を指して、

金鱉又名金鱗魚又呼蛋魚和名ランチウ又ダンチウ

と解説があります(下図参照)。

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「金鱗魚」とは読んでその意味のとおり、鱗の金色の魚です。「蛋魚」とはアヒルの卵のように身体が丸い(背ビレがない)魚の意味で、「蛋種」と同義です。

ここで重要なのは、「ランチウ」又は「ダンチウ」という解説です。この表記は、安達善之の「金魚養玩草」(1748年刊)の中にも見られます。多くの書物では、「ランチウ」という一方の表記しかありませんが、栗本と安達の絵、書物には二通りの読みが記載されているのです。つまり、「らんちう」のことを18世紀頃には<ランチウ>又は<ダンチウ>と発音していたということです。「らん」という言葉は、<ラン>とも聞こえ、<ダン>とも聞こえる音だったということを意味しています。中国語が分かる方ならこの意味が分かると思いますが、中国語の無気音の<dan>という発音は日本人には<ラン>とも聞こえるはずだということです。

では、この<ラン>とも<ダン>とも聞こえる音は、漢字では何なのかと言うと、先に解説でも用いた「蛋」であると判断されます。栗本によれば、「蛋魚」とも呼ばれていたそうなので、「らんちう」の「らん」が「蛋」であることは間違いないはずです。

それでは、次は、「ちう」とは何かです。栗本によれば、「蛋魚」とも呼ばれていたとのことですが、「魚」は、<チウ>とは発音しません。日本語では<ギョ>ですが、中国語では日本にない発音で<ユイ>とでも書きましょうか、<ユ>は聞こえず、<イ>となるかもしれません。ただ、口を横に開かないで前に突き出して<イ>と発音しますので、日本語の<イ>とはかなり違う音になります。では、魚ではなくて何なのでしょうか。



・中国の金魚の分類

「ちう」とは何かを考えるにあたって、中国での金魚の呼び方、分類が参考になります。

日本では500年前に中国から金魚が輸入されてから、限られた品種の金魚しか飼育されなかったこともあり、金魚の品種を分類したりすることはありません。一方、中国では、形質(特徴)が多様で、多くの品種が出現していることもあり、その分類方法があります。現代の中国金魚の分類方法は大きく2種類あると言われています。

一つは、草種、文種、龍種、蛋種の4種類に分ける方法です。もう一つは背ビレがあるかないかを基準に龍種と蛋種の2種類に分ける方法です。なお、この二種類とも、龍種という呼び方を使っていますが、それぞれの分類における意味が異なります。



①4分類法

草種は、フナの形をした金魚、つまり金魚の原型の緋ブナともいうべき金魚のことです。文種は、琉金のように普通目で背ビレのある金魚。龍種は出目で背ビレのある金魚。蛋種は、背ビレのない金魚です。

蛋とはアヒルの卵のことで、体形がこれに似ているため、このように呼んでいます。



②2分類法

この分類法では、4分類法での「草種」を分類から除外しています。これは、進化をする前の金魚(原型の金魚)だということで、観賞価値がないことによるようです。

また、4分類法での「文種」は、2分類法では龍種に含まれていて、その意味で、2分類法の龍種の方が多くの品種を含む関連です。

このように、いずれの分類法でも、「蛋種」という呼び方があります。これらが日本の江戸時代からあるとすれば、当時日本に持ち込まれた背ビレのない金魚は「蛋種」と呼ばれていてもおかしくありません。



・中国語普通話の「蛋種」

既に述べたように、日本の「らんちう」を中国の金魚として、中国金魚の分類に当てはめると、「蛋種」の金魚ということになります。この「蛋種」は、中国語の共通語である普通話では、中国語の発音表記である併韻字母で表記すると<dan zhong>となり、敢えてカタカナでその読みを書くと<ダンチョム>いう発音となります。この内、<ダン>は日本語にない発音で、無気音と呼ばれる発音なので、<ダン>に近い発音ですが、日本人には<ラン>とも聞こえるものです。<チョム>は、なんとなく<チュウ(チウ)>と聞こえないこともありません。

従って、「らんちう」の語源は中国語の「蛋種」の可能性が高いのですが、現在の普通話(共通語)の「蛋種」の発音そのものだとは言い難いです。普通話が北京語に近い北方の中国語であることから、金魚の輸入ルートである南方の中国語とは異なるため、発音が若干異なるのではないかと思います。



・広東語の「蛋種」

金魚の日本への搬入経路は、南方からの海路といわれており、この海路で活躍していた人たちは広東語などの南方中国語を話していたと想像されます。それでは、中国の南方言語(方言)として広く香港、台湾、東南アジアにおいても使われている広東語では「蛋種」はどう発音するのでしょうか。

広東語の発音表記は統一したものがなく、何種類かあるようですが、東方書店の「広東語辞典」の表記での発音は、<darn jung>ということとなります。

広東語でも<d>は無気音であって、<arn>は、鼻音の長母音ですが、日本語の長音ほど長く発音しないようです。従って<darn>は、<ダ(ー)ン>となります。普通話(基準語)と同じく、日本人には<ラン>とも聞こえるはずです。

他方、<jung>の<j>は、国際表音文字では<dz、dʒ>に近い発音で、<u>は、基準語のuに近く、<ung>は、鼻音の短母音であり、やや低く発音されます。従って、カタカナで表記すると<ヂュム>であり、十分<チュ(ウ)>と聞こえるはずです。

以上から、広東語の「蛋種」は、ランチュ(ウ)と聞こえるはずです。長崎を中心として交易に同行していた広東人が「この金魚は蛋種だ」と説明したら、日本人(正確には西洋人と日本人)には「この金魚はランチウだ」と聞こえたに違いありません。これで、江戸時代の「ダンチウ」の語源が解けたと言えます。

なお、日本に「らんちう」を伝えた人が、上記のように中国人なら、漢字を書いて見せることができたはずですので、日本に漢字がそのまま伝わったはずです。(なお、伝えた中国人が漢字が書けなかった可能性も否定できません。)多分、中国人船員などは船から陸に上がることはなく、上陸したのは西洋人で、日本人にお土産として渡した時には、西洋人から音(発音)しか伝わらなかったのだと考えられます。



・「らんちう」=「蛋種」

以上、見てきたとおり、「らんちう」は、「蛋種」の中国語、特に広東語などの南方の中国語に出所すると考えられます。

「らん」については、中国語で<ラン>と発音する和蘭陀の「蘭」や<ルア(エ)ン>と発音する「卵」では、日本の書物に「ダン」という振り仮名があることが説明できません。いずれも当て字です。従って、「らん」は「蛋」が正しいのです。

「ちう」については、「虫」の表記では、中国語(普通話)では<チオン>と発音され、<チウ>とは聞こえづらいです。「鋳」(あるいは魚へんに寿)の字は、日本語でこそ<チュウ>ですが、中国語では<ショウ>と発音します。したがって、広東方言でも説明したとおり、中国の金魚の分類としても使われている、「種」が正しいと言えます。

つまり、「らんちう」=「蛋種」の中国語(中国南方の広東方面の中国語)発音ということになります。



「らんちゅう」は漢字で「蘭鋳」「金鋳」「蘭畴」や「卵虫」と書き、上から見て観賞する金魚の代表的な品種で、金魚の王様と呼ばれ、全国各地で盛んに品評会が開催されています。

离线天山雪

只看该作者 1楼 发表于: 2021-10-15
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